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2008/01/18
23:00:36
北海道時代、親が2件の店をやっていたと聞いたら随分と裕福そうなイメージだが、ところがギッチョンギッチョンチョンである。
貧乏。何故か貧乏。
そして貧乏の子沢山。
取り合えずオヤジが商売に向いていない人だったのね。
居酒屋とスナックやってたんだけど、とにかく酒が入ると気が大きくなる。
ツケは当たり前。客に飲食代をオマケしたり驕ったりしちゃうんだもの。
そんなことをしょっちゅうやってたらそら潰れるっつーの。
その上浮気して貢いでたりもしてたみたいだしさ。
んで店2件潰してしまったが生活は続けねばならぬ。
オヤジは季節労働者となり内地(本州)に出稼ぎに行ったのだな。
カーチャンと俺ら兄弟を北海道に残してさ。
ところがこのクソオヤジ全然金を送ってきやがらねえ。
貴様稼いだ金を何に使ってんだよと。
送ってきても数万円だ。今思えばその数万でどう生活しろと考え送っていたのやら・・・。
俺らの学費とかなんも考えてないだろコヤツは。
しかし流石にカーチャンは偉かったね。
まずパートにでた。セールスレディみたいな奴な。
そして食費を浮かすために色々やってた。
俺らが学校に行っている間、パートを終えたカーチャンは山などへ向かい山菜取りだ。
キノコや山ワサビなんか毎日のように食ってたな。
ある種贅沢な食事だったのかも知れん。
そして山菜も取れない冬シーズンですよ。
親類から送られてきた白菜を、40㍑は入るであろうクソでかい樽を使い漬物にする。
この樽は1つじゃなくを3つくらい作るんだなw
後、大量のホッケも送られてきたんだけど全部ヌカヅケにしやがります。
魚市場で見かけるような魚を入れるケース2つくらいを全て漬ける。
そしてそれを冬の間中食うわけなんだなw
しかし当然半年近くの冬なので足りるわけがない。
カーチャン、今度は近所の豆腐屋からタダでオカラを貰い、うの花を作り毎日のように食ってたw
オカラも無い日もあり、ワカメご飯だけ食べる日が続いた時は「俺たちこの冬越せるんかいな」と本気で考えたわwwww
味噌汁やお漬物さえないワカメご飯『のみ』だったからねw
でもカーチャンのお陰でひもじい気持ちになった事はなかったんだよね。
俺らにオヤツ食べさせなきゃってパンの耳を貰ってきて、油で揚げて砂糖をまぶしたのを食べさせてくれたりしたしさ。
南瓜を手に入れたときに、砂糖と片栗粉と南瓜をこねて焼いて食べる『南瓜ダンゴ』は今でも食いたい時あるもんな。
なんであんなに美味しかったんだべ。
結局そんな生活は一年半ほどで終わったけど、カーチャンが居なかったら確実に兄弟全員終わってたなw
良くあんな状況でカーチャンも乗り切れたもんだ。マジで尊敬する。
こうやって書いていると物凄く前の話のように聞こえるけれども、1980年代の話しだからねw
その数年後にバブル経済はじまっとるからねwww
そんなカーチャンの息子のせいだべか。
変なところでえらい楽天的だったりするからね俺。
少なくともオヤジには似なくて良かったかなとは思っているかな。
貧乏。何故か貧乏。
そして貧乏の子沢山。
取り合えずオヤジが商売に向いていない人だったのね。
居酒屋とスナックやってたんだけど、とにかく酒が入ると気が大きくなる。
ツケは当たり前。客に飲食代をオマケしたり驕ったりしちゃうんだもの。
そんなことをしょっちゅうやってたらそら潰れるっつーの。
その上浮気して貢いでたりもしてたみたいだしさ。
んで店2件潰してしまったが生活は続けねばならぬ。
オヤジは季節労働者となり内地(本州)に出稼ぎに行ったのだな。
カーチャンと俺ら兄弟を北海道に残してさ。
ところがこのクソオヤジ全然金を送ってきやがらねえ。
貴様稼いだ金を何に使ってんだよと。
送ってきても数万円だ。今思えばその数万でどう生活しろと考え送っていたのやら・・・。
俺らの学費とかなんも考えてないだろコヤツは。
しかし流石にカーチャンは偉かったね。
まずパートにでた。セールスレディみたいな奴な。
そして食費を浮かすために色々やってた。
俺らが学校に行っている間、パートを終えたカーチャンは山などへ向かい山菜取りだ。
キノコや山ワサビなんか毎日のように食ってたな。
ある種贅沢な食事だったのかも知れん。
そして山菜も取れない冬シーズンですよ。
親類から送られてきた白菜を、40㍑は入るであろうクソでかい樽を使い漬物にする。
この樽は1つじゃなくを3つくらい作るんだなw
後、大量のホッケも送られてきたんだけど全部ヌカヅケにしやがります。
魚市場で見かけるような魚を入れるケース2つくらいを全て漬ける。
そしてそれを冬の間中食うわけなんだなw
しかし当然半年近くの冬なので足りるわけがない。
カーチャン、今度は近所の豆腐屋からタダでオカラを貰い、うの花を作り毎日のように食ってたw
オカラも無い日もあり、ワカメご飯だけ食べる日が続いた時は「俺たちこの冬越せるんかいな」と本気で考えたわwwww
味噌汁やお漬物さえないワカメご飯『のみ』だったからねw
でもカーチャンのお陰でひもじい気持ちになった事はなかったんだよね。
俺らにオヤツ食べさせなきゃってパンの耳を貰ってきて、油で揚げて砂糖をまぶしたのを食べさせてくれたりしたしさ。
南瓜を手に入れたときに、砂糖と片栗粉と南瓜をこねて焼いて食べる『南瓜ダンゴ』は今でも食いたい時あるもんな。
なんであんなに美味しかったんだべ。
結局そんな生活は一年半ほどで終わったけど、カーチャンが居なかったら確実に兄弟全員終わってたなw
良くあんな状況でカーチャンも乗り切れたもんだ。マジで尊敬する。
こうやって書いていると物凄く前の話のように聞こえるけれども、1980年代の話しだからねw
その数年後にバブル経済はじまっとるからねwww
そんなカーチャンの息子のせいだべか。
変なところでえらい楽天的だったりするからね俺。
少なくともオヤジには似なくて良かったかなとは思っているかな。
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