--/--/--
--:--:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
Category:スポンサー広告│
コメント:--│
トラックバック :--
2008/02/11
00:31:11
まあ、カミングアウトって言っても大した話しではないんだけどね。
だけど自分の中では結構躊躇したりする事だったりするんだな。
別に読んでいる方には大した話しには感じないと思うのでさらっと流しておくれ。
実は学会員だったりする
あ、別にコテ名の通り先生でどっかの教授会とかって意味ではないw
創価学会の信者って事ですな
これを知り合いに言ったりすると大抵驚かれるw
「イメージにない」「そんな風には見えない」とかね。
この意見に関しては俺も同意見だがな。
ただこればっかりはしょうがない。
だって俺は生まれながらにして学会員なわけだから。
俗に言われる『学会二世』って奴なんだな。
親が学会員で、この世に生を受けた時から勝手に俺も入らされているんだもの。
だから小さい時から無理矢理に朝夕の勤行(仏壇で南無妙法蓮華経~って唱える奴ね)とか座談会参加(学会員の集会のようなもん)なんぞをやらされていた。
これがまた苦痛でねえw
勤行は長時間正座だから足が痺れるし眠気も襲ってくる。
座談会とかも知らんおっちゃんおばちゃんの話しを何時間も聞かなきゃいけないから嫌でしょうがないの。
見たいテレビとかあるのに見れんしな。
自分がやりたくてやっているものじゃないから特にそう感じたんだろうねい。
小学校に上がる前からそんな生活をさせられているわけだから、少しは慣れても良いようなもんだがダメだったなあ。
なんであんなに嫌だったんだろうって考えると、やっぱオヤジの影響だったんだろうなって思う。
いやまあ、俺の性格自体が向いていなかったってのもあるんだろうけどw
小さい頃からオヤジの外面は良くて家庭内では最悪な人ってのを実感していたし、酒乱でカーチャンに暴力振るうような人から宗教を強制されても喜んでやる奴はいない。
だけど怖いから反発も出来ず嫌々やるしかないってのが現状だった。
前にブログで書いたようにオヤジのせいでド貧乏になったりしてんのに、俺ら子供にはお年玉とかろくに渡さないのに、学会のお布施には数万だすところとか見せられて生きてきた俺には、オヤジにとって宗教ってのは家族なんかよりも大事なもんなんだろうなって思っていた。
でもさ、ある時俺は考えたね。
もしかして・・・俺の祈念(神仏に祈る事ね)の気持ちが足りないから、俺や家族は幸せになれないんじゃないか?ってね。
もうね突然思った。不意に思った。
少なくとも、もっと真剣に祈って真面目に宗教やったら、功徳(まあ、ご利益を受けるみたいなもんだ)を得て平穏な普通の幸せな家族になれるんじゃないかってさ。
※注:『功徳』の意味は正確には合ってない。この部分が創価学会(日蓮正宗)の上手いところなので勘違いしないでね。
説明が物凄く面倒臭くなるので日蓮正宗の功徳の意味は各々で調べておくれ。
まあ、単純に願ったら願いが叶うものじゃないって事だ。特に現世利益に関しては。
あくまでも俺が当時『功徳』で現世利益(幸せになれる・成功する・お金持ちになれる等)が叶うって思ってただけだからね。
内地(本州)に来てから直ぐだったと思う。
人生を変えていきたいって気持ちも大きかったのかもな。
そしてそれから一年後にちょっとした事が起こる。
更に言うならこのネタは次回に続くw
だけど自分の中では結構躊躇したりする事だったりするんだな。
別に読んでいる方には大した話しには感じないと思うのでさらっと流しておくれ。
実は学会員だったりする
あ、別にコテ名の通り先生でどっかの教授会とかって意味ではないw
創価学会の信者って事ですな
これを知り合いに言ったりすると大抵驚かれるw
「イメージにない」「そんな風には見えない」とかね。
この意見に関しては俺も同意見だがな。
ただこればっかりはしょうがない。
だって俺は生まれながらにして学会員なわけだから。
俗に言われる『学会二世』って奴なんだな。
親が学会員で、この世に生を受けた時から勝手に俺も入らされているんだもの。
だから小さい時から無理矢理に朝夕の勤行(仏壇で南無妙法蓮華経~って唱える奴ね)とか座談会参加(学会員の集会のようなもん)なんぞをやらされていた。
これがまた苦痛でねえw
勤行は長時間正座だから足が痺れるし眠気も襲ってくる。
座談会とかも知らんおっちゃんおばちゃんの話しを何時間も聞かなきゃいけないから嫌でしょうがないの。
見たいテレビとかあるのに見れんしな。
自分がやりたくてやっているものじゃないから特にそう感じたんだろうねい。
小学校に上がる前からそんな生活をさせられているわけだから、少しは慣れても良いようなもんだがダメだったなあ。
なんであんなに嫌だったんだろうって考えると、やっぱオヤジの影響だったんだろうなって思う。
いやまあ、俺の性格自体が向いていなかったってのもあるんだろうけどw
小さい頃からオヤジの外面は良くて家庭内では最悪な人ってのを実感していたし、酒乱でカーチャンに暴力振るうような人から宗教を強制されても喜んでやる奴はいない。
だけど怖いから反発も出来ず嫌々やるしかないってのが現状だった。
前にブログで書いたようにオヤジのせいでド貧乏になったりしてんのに、俺ら子供にはお年玉とかろくに渡さないのに、学会のお布施には数万だすところとか見せられて生きてきた俺には、オヤジにとって宗教ってのは家族なんかよりも大事なもんなんだろうなって思っていた。
でもさ、ある時俺は考えたね。
もしかして・・・俺の祈念(神仏に祈る事ね)の気持ちが足りないから、俺や家族は幸せになれないんじゃないか?ってね。
もうね突然思った。不意に思った。
少なくとも、もっと真剣に祈って真面目に宗教やったら、功徳(まあ、ご利益を受けるみたいなもんだ)を得て平穏な普通の幸せな家族になれるんじゃないかってさ。
※注:『功徳』の意味は正確には合ってない。この部分が創価学会(日蓮正宗)の上手いところなので勘違いしないでね。
説明が物凄く面倒臭くなるので日蓮正宗の功徳の意味は各々で調べておくれ。
まあ、単純に願ったら願いが叶うものじゃないって事だ。特に現世利益に関しては。
あくまでも俺が当時『功徳』で現世利益(幸せになれる・成功する・お金持ちになれる等)が叶うって思ってただけだからね。
内地(本州)に来てから直ぐだったと思う。
人生を変えていきたいって気持ちも大きかったのかもな。
そしてそれから一年後にちょっとした事が起こる。
更に言うならこのネタは次回に続くw