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2008/02/12
23:14:19
これさえあれば何もいらない。
こんなセリフは良く聞くが実際問題として『これ』のみだったら嫌だろw
だけど誰にでもあるよね『これさえあれば飯が何杯もいける』っておかず。
実際やったら2杯くらいで不快感倍増するんだけどさ。
俺にとっての飯の友はなんだろう?ってちょっと考えてみた。
・・・・・
・・・・・・・・・・・
・・・・イカの塩辛・・・いや、違うな。
・・・・・・・・・・・・・・
うん決定した。
俺の飯の友は・・・
鮭フレークだ!
鮭のほぐし身ってのも似たモノとしてあるのだが、アレを食うくらいなら鮭の切り身を食うわ。
もっとお手軽でちょっとジャンク臭漂う鮭フレークが望ましいね。
多分コイツなら結構飯がいけるはず。
よし、俺は明日から鮭フレークを食べた時は「いや~これがあれば何もいらねえな!」と言うようにしよう。
そうしよう。
こんなセリフは良く聞くが実際問題として『これ』のみだったら嫌だろw
だけど誰にでもあるよね『これさえあれば飯が何杯もいける』っておかず。
実際やったら2杯くらいで不快感倍増するんだけどさ。
俺にとっての飯の友はなんだろう?ってちょっと考えてみた。
・・・・・
・・・・・・・・・・・
・・・・イカの塩辛・・・いや、違うな。
・・・・・・・・・・・・・・
うん決定した。
俺の飯の友は・・・
鮭フレークだ!
鮭のほぐし身ってのも似たモノとしてあるのだが、アレを食うくらいなら鮭の切り身を食うわ。
もっとお手軽でちょっとジャンク臭漂う鮭フレークが望ましいね。
多分コイツなら結構飯がいけるはず。
よし、俺は明日から鮭フレークを食べた時は「いや~これがあれば何もいらねえな!」と言うようにしよう。
そうしよう。
2008/02/12
00:04:06
昨日の続きでござる。
俺が真面目な学会員ぶりを発揮してから一年ほど。
オヤジが手術する事になった。
病名は癌。胃癌だった。
流石のオヤジも癌だと知った時は泣いたらしい。
そして少し鬱っぽくなったりもしていた。
良性の癌の可能性が高いと医者には言われても、実際本人にしてみたらキツイもんだったんだろうねい。
俺の方はと言うと、基本的に自分のこと意外には妙に楽観的なので、「まず大丈夫だろうな」って思っていた。
本当に何となくだけどさ。
もしオヤジに万が一のことがあっても、兄弟もいるしカーチャンの面倒を見れるべって思ってたし、その万が一も想像する事はあまり無かったかな。
でも、実際癌なわけだし悪性だったら確実に死ぬ病気だし、俺は必死で毎日祈ったよ。
仏壇の御本尊に向けてね。
「良性でありますように」「無事手術が成功しますように」「また家族全員で暮らせますように」
オヤジのことばかり祈った。
取り合えず世界平和とかを祈るのは後回しだ。
まずは身近な人を祈ろう。つーか祈るしかない。
手術当日は、オヤジの手術の間ずっと仏壇で祈った。
あまりにも長いので途中休憩入れたけどさw
そして手術が終わった。
良性だった。
と言っても、癌の場合は5年は経過しないと完治とは言えんそうな。
転移が絶対無いとは言えんからね。
ホッとしたよ。正直な気持ち。
いつもぼろ糞に書いているけど、俺のたった一人の父親だからね。
まだまだ親に依存する高校生だったって事もあるしさ。
次の日、オヤジを見舞いに行った。
病室に入っていった。
何しに来た!
さっさと帰れ!!
俺が病室に入るなりオヤジの怒声が響いた。
俺は完全に思考停止になったよ。
「え?・・・なんで?」
他に思い浮かばなかった。
言葉も出なかった。
涙も出なかった。
俺は声を張り上げるオヤジの前で黙って立っていた。
それしか出来なかった。
俺の中で何かが完全に崩れた。
カーチャンが俺を病室から出し、「ごめんね。お父さん気が立ってるだけだから。今日のところは帰んなさい」と言ってオヤジのところへ戻っていった。
後になって聞いたが、カーチャンはその後泣きながらオヤジを叱ったらしい。
そして見舞いに行って怒鳴られたのが俺一人だけなのも直ぐに知った。
色々オヤジにも想いがあったんだろうね。
こんな姿を見られたくないとか、精神的に不安定だったとかさ。
因みにカーチャンには当時自分がそんなことを言った記憶がオヤジには無いそうな。
そして数週間の後、オヤジは無事退院。
家に戻ってきた。
親父は少し変わって帰ってきた。
軽い躁鬱病だってカーチャンが言ってた。
前以上にオヤジの顔色を伺わなきゃいかん生活が始まっていった。
自分なりに考え部活を辞めバイトをした。
「なんで部活をやめた!」と俺を殴り丸坊主にした。
何も口答えせず過した。
だってオヤジ病気だったし今も(心の)病気なんだろうしな。
数ヵ月後に座談会があり、オヤジは体験発表なるものを大勢の前でした。
「~な事があったけど宗教のお陰で○○になりました」的な創価学会(日蓮正宗)の素晴らしさを語る役目だ。
親父は涙ながらに言った
「御本尊だけのみならず家族の支えがあったからこそ癌を克服できました!」
「これからも一家和楽の信心でこれからも突き進んでいきます!」
熱く信仰の素晴らしさ、華族の素晴らしさを語ってましたよ。
泣いているオバチャン達も結構いたなあ。
俺?
俺はその時オヤジを見ながら思ってたよ。
何を言っているんだコノ人は?
退院後、カーチャンがどれだけ大変だったか。
家の中が、家族の心がどれほど荒れていたか。
なんなんだろう。
この人はどこか他所の家族の話しでもしているんかいな。
俺の中で全てが冷めた。
オヤジだけじゃなく宗教も含む全てに。
その後17歳で俺は家を出るんだけど、俺の周りにやってくる全ての創価学会員を突っぱねた。
時には玄関前で論戦をして追い返した。
その話しがオヤジにまで行き相当怒ってたらしいが知った事ではなかった。
そんなことを繰り返し、20歳の頃には学会員は誰も寄り付かなくなったね。
俺はさ、今回のブログで創価学会を否定・非難しているわけじゃないのよ。
教え自体はおかしいと思ってはいないし学会員も普通の人達だ。
学会員となった事で幸せになった人もいると思うしそれは素晴らしいことだと思う。
ただ、俺が学会二世として見てきたものは、決して宗教をしたからといって幸せになれるわけじゃないってものだったんですよ。
俺の知っている学会員で決して幸せではなかった人がいる。
とても仲睦まじかった夫婦が別れたり、真面目だったが故に自殺してしまった人も知っている。
これも創価学会員だったから離婚したり自殺したわけじゃない。
その人それぞれの問題なわけでさ。
宗教は何もしてくれない。
ちょっとそれは言いすぎか。
確かに心を救ってくれたり癒されるケースは多くあるでしょう。
でも、何かの宗教をしたから幸せになったとか幸せになれるなんて事は無い。
これは断言できる。
幸せになれるかどうかはその人の努力や気持ち次第だもの。
宗教なんてものは人生のエッセンスになる程度のもんでさ。
人生の為に宗教をする
宗教の為に人生がある
この二つの差は大きいよな。
少なくとも俺の生きて来た中で言えるのは『周りの人や家族・身内を不幸にしてまで得られる宗教の幸せなんて俺はいらない』って事かな。
ただ、無神論者でいられるほどの人間ではないので、聞かれる場合は「あ、俺は八百万(やおろず)の神信じてるから」って言っているw
実際そういう全てのものに神が宿っている的な精神って一番自分にしっくりくるからね。
まあ、長ったらしく書いたけど、ブログを始めたらいつかは書こうと思ってたことなので、今回書くことが出来てよかったよ。
この一件は俺の性格形成に大きく影響していると自分で思っているからさ。
読んだ人から見たらなんとめんどくさい話しなのかと思っているだろうけどw
俺が真面目な学会員ぶりを発揮してから一年ほど。
オヤジが手術する事になった。
病名は癌。胃癌だった。
流石のオヤジも癌だと知った時は泣いたらしい。
そして少し鬱っぽくなったりもしていた。
良性の癌の可能性が高いと医者には言われても、実際本人にしてみたらキツイもんだったんだろうねい。
俺の方はと言うと、基本的に自分のこと意外には妙に楽観的なので、「まず大丈夫だろうな」って思っていた。
本当に何となくだけどさ。
もしオヤジに万が一のことがあっても、兄弟もいるしカーチャンの面倒を見れるべって思ってたし、その万が一も想像する事はあまり無かったかな。
でも、実際癌なわけだし悪性だったら確実に死ぬ病気だし、俺は必死で毎日祈ったよ。
仏壇の御本尊に向けてね。
「良性でありますように」「無事手術が成功しますように」「また家族全員で暮らせますように」
オヤジのことばかり祈った。
取り合えず世界平和とかを祈るのは後回しだ。
まずは身近な人を祈ろう。つーか祈るしかない。
手術当日は、オヤジの手術の間ずっと仏壇で祈った。
あまりにも長いので途中休憩入れたけどさw
そして手術が終わった。
良性だった。
と言っても、癌の場合は5年は経過しないと完治とは言えんそうな。
転移が絶対無いとは言えんからね。
ホッとしたよ。正直な気持ち。
いつもぼろ糞に書いているけど、俺のたった一人の父親だからね。
まだまだ親に依存する高校生だったって事もあるしさ。
次の日、オヤジを見舞いに行った。
病室に入っていった。
何しに来た!
さっさと帰れ!!
俺が病室に入るなりオヤジの怒声が響いた。
俺は完全に思考停止になったよ。
「え?・・・なんで?」
他に思い浮かばなかった。
言葉も出なかった。
涙も出なかった。
俺は声を張り上げるオヤジの前で黙って立っていた。
それしか出来なかった。
俺の中で何かが完全に崩れた。
カーチャンが俺を病室から出し、「ごめんね。お父さん気が立ってるだけだから。今日のところは帰んなさい」と言ってオヤジのところへ戻っていった。
後になって聞いたが、カーチャンはその後泣きながらオヤジを叱ったらしい。
そして見舞いに行って怒鳴られたのが俺一人だけなのも直ぐに知った。
色々オヤジにも想いがあったんだろうね。
こんな姿を見られたくないとか、精神的に不安定だったとかさ。
因みにカーチャンには当時自分がそんなことを言った記憶がオヤジには無いそうな。
そして数週間の後、オヤジは無事退院。
家に戻ってきた。
親父は少し変わって帰ってきた。
軽い躁鬱病だってカーチャンが言ってた。
前以上にオヤジの顔色を伺わなきゃいかん生活が始まっていった。
自分なりに考え部活を辞めバイトをした。
「なんで部活をやめた!」と俺を殴り丸坊主にした。
何も口答えせず過した。
だってオヤジ病気だったし今も(心の)病気なんだろうしな。
数ヵ月後に座談会があり、オヤジは体験発表なるものを大勢の前でした。
「~な事があったけど宗教のお陰で○○になりました」的な創価学会(日蓮正宗)の素晴らしさを語る役目だ。
親父は涙ながらに言った
「御本尊だけのみならず家族の支えがあったからこそ癌を克服できました!」
「これからも一家和楽の信心でこれからも突き進んでいきます!」
熱く信仰の素晴らしさ、華族の素晴らしさを語ってましたよ。
泣いているオバチャン達も結構いたなあ。
俺?
俺はその時オヤジを見ながら思ってたよ。
何を言っているんだコノ人は?
退院後、カーチャンがどれだけ大変だったか。
家の中が、家族の心がどれほど荒れていたか。
なんなんだろう。
この人はどこか他所の家族の話しでもしているんかいな。
俺の中で全てが冷めた。
オヤジだけじゃなく宗教も含む全てに。
その後17歳で俺は家を出るんだけど、俺の周りにやってくる全ての創価学会員を突っぱねた。
時には玄関前で論戦をして追い返した。
その話しがオヤジにまで行き相当怒ってたらしいが知った事ではなかった。
そんなことを繰り返し、20歳の頃には学会員は誰も寄り付かなくなったね。
俺はさ、今回のブログで創価学会を否定・非難しているわけじゃないのよ。
教え自体はおかしいと思ってはいないし学会員も普通の人達だ。
学会員となった事で幸せになった人もいると思うしそれは素晴らしいことだと思う。
ただ、俺が学会二世として見てきたものは、決して宗教をしたからといって幸せになれるわけじゃないってものだったんですよ。
俺の知っている学会員で決して幸せではなかった人がいる。
とても仲睦まじかった夫婦が別れたり、真面目だったが故に自殺してしまった人も知っている。
これも創価学会員だったから離婚したり自殺したわけじゃない。
その人それぞれの問題なわけでさ。
宗教は何もしてくれない。
ちょっとそれは言いすぎか。
確かに心を救ってくれたり癒されるケースは多くあるでしょう。
でも、何かの宗教をしたから幸せになったとか幸せになれるなんて事は無い。
これは断言できる。
幸せになれるかどうかはその人の努力や気持ち次第だもの。
宗教なんてものは人生のエッセンスになる程度のもんでさ。
人生の為に宗教をする
宗教の為に人生がある
この二つの差は大きいよな。
少なくとも俺の生きて来た中で言えるのは『周りの人や家族・身内を不幸にしてまで得られる宗教の幸せなんて俺はいらない』って事かな。
ただ、無神論者でいられるほどの人間ではないので、聞かれる場合は「あ、俺は八百万(やおろず)の神信じてるから」って言っているw
実際そういう全てのものに神が宿っている的な精神って一番自分にしっくりくるからね。
まあ、長ったらしく書いたけど、ブログを始めたらいつかは書こうと思ってたことなので、今回書くことが出来てよかったよ。
この一件は俺の性格形成に大きく影響していると自分で思っているからさ。
読んだ人から見たらなんとめんどくさい話しなのかと思っているだろうけどw